私のこと…

田舎のチカラ組!なんて言っているけど、のまかつみという私はただのおっさんです。

昭和39年3月に札幌で生まれました。父は北海道の職員。祖父は農家。曾祖父は屯田兵です。

札幌市立新琴似小学校(最後の1年は新琴似南小学校)と新琴似中学校にいました。

高校は札幌北陵高校でした。8期生です。

そのころ、ひい爺さんが屯田兵として苦労して開拓した土地がアパートになっていくことがイヤでした。いつかはひい爺さんの土地を取り戻したいと思っていました。

親しい仲間とは「いつかはみんなで村をつくろう」と話していました。みんなってのが好きでした。

高校を卒業して神奈川大学工学部工業経営学科に入学しました。工業全般と工業の経営を勉強しようとしていました。

中国で自転車屋をやろうと訳の分からないことを考えていました。

大学1年のときアルバイトを始めたファミリーレストランで私の人生を変える人に出会いました。

『藤縄啓二』

大学の時に友達と共同経営でジャズ喫茶を開いていた人です。友達の結婚を機に3人では上手くいかないかもしれないと、繁盛していた店を結婚祝いにプレゼントした人です。

虎ノ門で店を開き、赤坂の啓ちゃんと言えば有名な人でした。

奥さんはモデル。友達には芸能人だらけ。田舎から上京した私には雲の上の人でした。

でも、そんな格好良さばかりでなく、アルバイト1人の為に大手電鉄会社の社長にもものを言ってくれるような人でした。

「社員と飲んでもグチばかりで建設的でないから」といつも私を飲みに連れて行ってくれました。

この人にすっかりやられました。

気がついたら、藤縄さんの後を追ってバイクに乗ってました。藤縄さんの真似をしてボクシングを始めてました。

ファミリーレストランと赤坂のレストランを掛け持ちして働き、いつかは世界一のサービスマンになるためにイタリアに行こうと思っていました。

そして…

藤縄啓二を卒業させてもらい、札幌のホテルに勤めました。

工学部からの就職は異例でしたが、いくつものホテルを直接訪ね「私を採用しなければ損になる」と履歴書と職務経歴書(アルバイトのくせに)を持って歩き、ことごとく採用されました。

その中のひとつに就職し、最初からメインダイニングのサービスマンとして配属されました。
(通常ホテルではコーヒーラウンジから始まりメインダイニングで働けるまでには数年もかかります)

希望通りに手に入れたポジションでしたが、全くつまらない。

藤縄啓二の様な魅力がどこにも無い。

言われたことをやるだけ。自分の居所を守るだけ。

秋には転職していました。

当時、まだ発展途上だったハンバーグレストランチェーンです。

また生意気言って入社しました。社長室付けで店舗研修、新店開発、全国店長会議には社長の鞄持ちで同行しました。

ここの社長にも随分と可愛がっていただき、色々なことを教えていただきました。『庄司昭夫』です。

そして、5年ほど経ち退社。

「これからの外食産業にはコンピュータの知識が必要になる。その為には勉強するのではなく、仕事としてマスターしたい」

庄司社長は「必ず外食に戻りなさい」と言ってくれました。

数年間システムエンジニアとしてコンピュータの実務に関わり、知人の声かけで、ある企業の新規事業(ステーキレストランの全国展開)の担当者としてヘッドハンティングされましたが、数年後に倒産。

私が入社したときには既に火の車で、私とレストランの全国展開は借金の道具として使われていたのです。

それからは… 寄らば大樹の陰 は危ない! と独立。

飲食店の経営支援や食材供給、当時まだ何社もやっていなかったインターネット通販などを行ってきました。

しかし

ある時

「家族の時間がない」ことに気づき、「自分の子どもをこの街で育てていくのか」と疑問に思い。

北海道沙流郡平取町に山村留学 兼 移住。

田舎興しは田舎と都市の両方を知っている我々の仕事だと思い、やっと食いながら儲けにもならない活動を始め、現在に至っています。

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